神戸の小高い丘にある小さなプロテスタント教会
クライストチャーチ神戸

2019年10月14日礼拝:恵みの証し:何を感じ、何を悟ったのか。

■NKMさん主婦



十字架を信じきる。御言葉を信じきる。
この言葉の迫力に、まず、どうしよう。と思いました。
信じきる。凄いことです。 日曜日に頂いた、《自我に宿る神に対する罪》の12項目・・
私は、神様に対して、これだけ罪を犯しているという認識のなさを、恥ずかしく思いました。
罪と死に対して生ぬるいとらえ方で、罪に対して対処を怠っているが故に、覆われてしまいます。
十字架が見えず、御言葉も聞こえなくなります。
しかし12項目の罪を十字架に釘付け、対処していくなかで神様との関係が作られていくように思いました。
神様に繋がろうとすること、知ろうとすること。罪と反対のことが、あたえられていき、関係が作られていくように思いました。信仰へと繋がるかと思いました。

役員の方々の証しは、神様とお一人お一人の信頼関係によって与えられた恵み。
その恵みが、次の人に与えられるように、神様が計画されていることが、凄い事です。神様に対する絶対的な信頼感を感じました。
神様との信頼関係が凄いです。関係が出来上がるまでの、過程には、どれほど、祈ってこられたのかと思いました。 いろいろな、思いを抱えながら、神様を見上げ、キリストの愛に信頼し、十字架を信じ、御言葉を信じきり祈ってこられたのだと思いました。
今、神様の力が、愛が、牧師先生をはじめ、役員の方に働かれ、その他の人にも働かれているように感じます。

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日常生活が平安な時にこそ、祈る。そうしていないと、緊急の時には祈ることは、できない。
私は、日常生活に特に問題もなく過ごせていると、だんだん、罪認識が生ぬるくなっています。
平安に過ごせる事に感謝しつつ、常に自我に存在する罪、偶像礼拝からくる反キリストの霊を、処断し続けねばならない事を学びました。
2000年前に私の罪は、十字架によって完全に取り除かれているということ。
信じて祈り、罪が処断されている事、聖なるもとされている事を信じて受け取る。
自分の中には、良いものは、何一つない。良心と思っているものも良いものではない。
劣化している。自分の中に持っていないものを、必要なものを、神様に素直に求めること。

○○○



先週の木曜日の礼拝で、死んでいた心が、生き返りました。特に、皆で祈った異言の祈りで心強くされました。
  死んでいた心が元気になった事を、キリストの愛についての話を聞くなかで感じました。
御言葉が、私に対しての言葉でした。
木曜日の恵みが日曜日も続いている事が、嬉しかったです。




■TMRさん・技術者



1)神の愛について
キリストの最大の愛は、世を救うため・信じる人々が滅びることなく、永遠の命を与えるため・・
地上は悪魔に支配され、悪魔よって良いようにされている。
信じて祈れば、悪魔の支配を神はくい止めてくれる。しかし、何もしなければ、悪魔の好き放題!
地上に起こる災いは、人々の不信仰と不従順の責任のため・・
なぜなら、神は人には責任と権威を授けているから。
(マタイ16章)「私はこの信仰の岩の上に私の教会を建てる。黄泉の力もこれに対抗出来ない。
私はあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐ(牧師注:縛る・禁じる)ことは
天上でもつながれ、あなたが地上で解く(牧師注:祝福を解き放つ)ことは天上でも解かれる
(詩編8)「神はご自分に僅かに劣るものとして人を造り、なお栄光と威光を冠としていただかせ、 御手によって造られたものを全て治めるように、その足もとに置かれました」
2)福音を信じ切る事について
神様を信じて祈れば何でも叶う。十字架の信仰をとおして永遠の命を得る。
3)証しについて
・FJWRさん:天国の入り口近くに、引き上げられた経験をした。大きな平安、安らぎ・・
其処に留まりたい気持ち・・その時は大きな喜びを感じた。
神が人を天国に引き上げるのは、人々に天の豊かさを現わし、示すため。
・HRYさん:身体中が痛い、だるい症状が取れ無かったのは「神の養育」と示された。
養育が終われば、病はいえた。それはルカ6章のキリストの業を人々に与えるか、与えないのか。ということが問われている。

○○○



福音と十字架を信じる! 復興の時、復活の時が来たのか?
今後ますます、大きな賜物が与えられるか? そんな予感と期待が始まった。



■OHTさん・主婦



1 )十字架によってキリスト様は私たちの罪、死、呪い、病、心の痛みを担って下さいました。
そして聖霊様は福音によってキリストの十字架を実現して下さいます。
私たちは何があっても十字架を通して働く神の力を信じ切ります!福音の言葉を信じ切ります!
と皆さんで告白したように、ただただ信じ切ります!と祈り続けることの大切さを悟らされました。
2) 神様の愛はただ優しく穏やかな愛だけではなく、裁き、試練を与え、厳しくされる事もある。
けれど…その中でいつ戻ってくるかいつも見張っていて下さる神様の愛があることをローマ9章、エレミヤ31章で特に感じる事が出来ました。
私たちが罪の故に不信仰になった時、神様の愛をどれだけ傷つけ、悲しませているのかを。
自分の事ばかりではなく今の神様の気持ちを考えなければならないと強く思いました。
3)役員の方の証
牧師また大泉さんの祈りを通して、その人の心に神様の救いの力が働いて下さっている。
治代さんの自律神経失調症を通して神様は治代さんを養育されている。
姉の上半身は天に引き上げられ、又、地上に降りて来る感覚。でも足は既に力に溢れて地上に保たれている。

役員の方の証を聞いて「凄いなー」と思ってるのに、正直どこかでよそ事のように捉えている思いがあるようにも自分で感じました。これではいけない!と。
役員の方の恵みは私たちにも流れて私たちのものになる・・
そのように神様が望んでおられることなんだと思い直しました。私にもキリスト様の働きが現われて下さるように願い求めて祈り続けます。
4)牧師の前に立った瞬間に、フワッと、体がゆっくり、優しく、揺れる感覚でありました。
横になってからは神様の私への愛に『ありがとうございます』と感謝の気持ちでした。



■OZMさん・役員



1)十字架の言葉・福音の言葉を信じ切る時が来た事について…
十字架の御言葉が、自分の日常の生活の一つ一つの問題で、解決する経験を今、持たなければならないと思った。
2)神の愛についてどのような認識が与えられたかについて
ローマ9:26 「あなたたちは、私の民ではないと言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる」この御言葉の説教を聞いて思ったことは、自分が神様をまだ知らなかった時に、罪の中にいて、今思えば「何ということをしていたんだ」という、その場所で「我が子よ」「生ける神の子」と呼んで下さっていたのだと思うと、強く胸に迫るものを感じた。

3)役員に対して働き始めたキリストの働きについて…
聖霊様が一人一人に働きだしたのだから、教会の全員に働きだして下さる様に祈りたい。
また一致して祈れる霊を一人一人に注いで下さいます様に祈りたい。
4)按手を通して、悲しいまでの御父の愛を感じた。




■GHSさん・主婦



いつも、ありがとうございます。役員の方に働いている神様の恵みが、それぞれに溢れている事がすごく嬉しく思います。
牧師のメッセージで、信じきる信仰、罪を告白し放棄する事を改めて意識する事が出来、感謝です。按手では、大きな神様の愛に包まれているようでした。いつもありがとうございます。



■FJRさん・女性役員



いつも、ありがとうございます。日曜日の聖会で、学んだこと、感じたことです。
1.十字架に示された神の愛と力を信じ切ること。
信仰は「ただ信じます」と告白することから始まり、十字架の力が今も働き、悪魔の仕業を断罪していること、を改めて知りました。
信仰には二つの面がある。御言葉の(福音)を通して啓示されたことを「神には必ず出来る、信じ切る信仰」と、神の真実の愛の故に、「神様は必ずして下さるという信仰」の二つがあることを学びました。
2.Ⅱコリ3章:「主の霊の居られる所に自由があります」
主の霊は悪魔を断罪して霊、罪に勝利した霊・・その霊が私の内におられます。
だから私の心も覆いが取り除かれ、悪魔(罪の力等)から解放され自由にされた。
そして、主の霊が心を支配し、顔や体の分厚い覆いを取り除いて、キリストの栄光を映し出すことが出来るようになる。ただ主の働きよって。
このことを知ったあの記念すべき1月、神への感謝と喜びで一杯でした。
私が御言葉の光に照らされ始めたきっかけの御言葉です。私の宝の一つの言葉です。
ただただ感謝。
3.ローマ9章あなたは私の民でないと言われたその場所で、生ける神の子と呼ばれる」
名だけでない、生ける神の子です。生きている、神の子として生きる。
生ける神の子と呼んで下さる神様の大きな、大きな愛を感じます。
4.エレミヤに示された神の愛、「彼を退けるたびに、私はさらに心に留める。・・・
彼らを抜き、壊し、破壊し、・・災いをもたらそうと見張っていたが、今、私は彼らを建て、植えようと見張っている」
神様はいつも私たちを見張っておられ、背き去る私たちを「胸を高鳴らせ、憐れまずにおられない」という神の心の痛み、悲しみを知りました。忍耐して立ち返る私たちを待ち続け、神は私たちが立ち返った瞬間に、祝福で包んで下さる偉大な神。その神様を、ただただ、信頼して、神様の内に居続けたいと思うのです。
5.Oさんの証、そのように私もどんなところでも神様の臨在が現れるものになりたい。
そのために常に自分を清め、満たされ続けられねばと思います。
6.牧師の按手は、炎は感じませんでしたが、今までのように聖い方に触れられている感覚でした。



■KTBさん・独身女性



 神様の愛は深い。しかし厳しさもあることが分かりました。
 按手されたときは、穏やかさの中に、火を感じました。



■HYさん・主婦役員



1)私が宝として感じる御言葉を口に出して告白する時、それが私の尊い経験となり、自覚となってきた。御言葉こそキリストであり、聖霊であることが自分の礼拝や牧師のメッセージよって悟らされてきた。
その上に今!キリストの十字架に始まる全福音を、心に受け入れ、反芻し、私は告白する。
信じます。信じ切ります。主が必ず成し遂げて下さると言い切り、主に祈りと願いを捧げます。
それが私たちの神への新たな信仰となり、信頼となることを、メッセージの中で更に深く悟らされた。
2)キリストの愛と御言葉にとどまり、反芻し、交わりを持つ中で、何という神の愛、計り知れない御子の愛・・神と御子の愛は、私たちの罪の故に、背きと反抗の故に、傷つき、悲しまれ、苦しまれる。
十字架と49回の鞭うちを受けいれた、御子と御父の苦しみを思う時・・それでも私たちを退け切ることをなさらないその思いこそ、その御心こそ・・言葉では言い表せない、計り知れない「愛だ」と悟らされて、ひれ伏して泣く。
3)大きな試練や災いの中で、「主こそ、我が神!我が救い主!・「癒し主!助け主!」と信じ、願いと祈りを捧げて生きた人たちの感謝と賛美の証しにふれて・・主は祈りに答えて下さる方。歴代誌・下7章の通りに、御顔を向けて、顧みて下さるお方。それぞれの信仰の歩みをご存知であるお方。積み上げられた祈りに答えて下さっている私たちの神。
祈りがすぐに聞かれる時も、すぐには聞かれない時にも、主は御自身の心に、私たちの祈りと願いをかならず心に止めて下さる。
4)按手・・今、主が牧師を用いて下さっている。按手によって、主が私の願いに答えて下さる。
信じて求めて進み出るなら、主が按手を通して答えて下さる。その思いに即されて私は恵みを受ける。
礼拝を包んで下さる聖霊様、私を通りよき管として下さる。主の御業を行う者にして下さる。
そのために必要な力を授けて下さる。この私の信仰と祈りが御前に積み上げられますように。
按手を受けると、このような私の願いを聖霊様がご存知であることが分かる。
何という喜び。主を賛美します。



■ONSさん・主婦



ローマ9章:「私は自分の民でない者を自分の民と呼び、愛されなかった者を愛されたものと呼ぶ。
「あなたは私の民ではない」と言われたその場所で、彼らは生ける神の子と呼ばれる。
この神の深い背後には。神を知ろうとせず、信じようとせず、求めようとしない私たちの罪を担って、身代わりに死んで下さった十字架のキリストがおられる。神はそのキリストを御覧になり、「彼らは私の民ではない]と言われたその場所で、「彼らを生ける神の子らと呼ばれる」と言って下さる。
エレミア31章:「エフライムはかけがえのない息子、喜びを与えてくれる子ではないか。
彼を退けるたびに、私は彼を更に心に留める。彼の故に胸は高鳴り、私は彼を憐れまずにはおれない」と主は言われる。
「乙女イスラエルよ、立ち返れ。ここにあるあなたの町々に帰れ。
いつまでさまようのか、背き去った娘よ。・・私は疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす。・・かつて彼らを抜き、壊し、破壊し、滅ぼし、災いをもたらそうと見張っていたが、今、私は彼らを建て、また植えようと見張っている」と主は言われる。

○○○



神は私たちを罪の故に退けながら、いつ帰って来るか待っていて下さる。
見張っていて下さっている。子を思う親の心、厳しさの中でも愛して下さっている。
でも立ち返らない私たちに傷つかれている。傷つきながら私たちが生ぬるさや不信仰の罪を告白して放棄し、立ち返るのを待っておられる。
今日、尋常でない神の愛、驚くべき神の愛をこのように学びました。





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