証言・男性信徒(65歳)HRDさん
■断食祈祷で主を知る
私は断食が苦手だった。その上、心のどこかで、聖霊に満たされにくい人、肉に死ににくい人がするものだと思っていた。
ある日、マルコ9章を拝読していて、弟子たちが主に悪霊を追い出せなかった理由を聞いたとき、「あなた方の信仰が薄いからだ」「この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません」と答えられているところに目が留まった。
私たちが主と同じ業を行うのは、ことごとく信仰によるのだが、その信仰は日ごろの祈りと断食によって上から与えられるのだと、悟り、また、ある人に強く勧められて、重い腰を上げ三日間、断食祈祷院に行くことにした。
山を動かすほどの信仰も必要としていたが、それよりも、主御自身にお出会いしたかった。そのことをこの数年、求め続けていた。
主が出会ってくださるなら、何もかもが新しくされ、前進していく、糸口がつかめそうだった。
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一日目――――六時間ほど主の前に立ち、祈ったが、聖霊に満たされるだけで、主に出会えなかった。
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二日目――――朝早く、川沿いの小道を祈りながら歩いた。
主よ、私を聖なるものとして下さい。
あらゆる私の肉の穢れを聖霊の炎によって焼き尽くして下さい。
あなたは聖なる神です。
ゆったりとした歩み。ゆったりとして静かな、主への語りかけ。
10秒、20秒。突然、清い聖霊様が一陣の風のように、あるいは、白い鳩のように、突然、上から頭に降りてきたように感じた。
それは何の前触れもなく、突然の訪れであった。
すると、これも突然、自分がこの聖なるお方をどれほど慕い求め、恋焦がれていたかが分かった。
そして、そのお方についに逢えた喜びが、心の底から湧いてくる。
溢れる涙・・・主よ、有り難う御座います。
私があなたをどれほど慕い求めてきたか、あなたは御存知です。
と言うと、さらなる喜びがおなかの底から湧き上がってくる。
そして、そのお方の清さが私の中に溢れて、私の清さになって行く。
私の中から全ての汚れたものが洗い流され、断たれて行く。
主よ、私を聖なる者として下さい。
私は自分の思いをあなたのために聖別します。
自分の感情を聖別します。自分の知性を聖別します。
自分の心の全てを、体を聖別します。
最も聖なるいけにえとして、あなたの御用のためにおささげします。
私をしわのない、傷のない、しみのない、汚れのない聖なる教会として御前に立たせて下さい。
二時間に及ぶ、喜びに溢れた神様との出会い、その中で古い自我がとても弱くなっているのを感じた。
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3日目――――朝早く、同じ川沿いの道を、賛美を聞き、祈りながら歩く。
「暗闇に光、輝き上る、その清い光、神の栄光・・」
「暗闇を照らす、まことの光、真理の御言葉、神の栄光・・・」
世を覆っている暗闇・・・罪のゆえに少しも光がない。
それを照らすキリストの光・・・その光は言い知れない深い憐れみ・・・
闇の世を照らしている神の光はキリストの愛・・・言い知れない神の憐れみ・・・
闇を包む光のやさしさ、憐れみが突然、幻となって迫ってきた。
この憐れみで、闇に包まれている「この世を愛せよ」と言わぬばかり・・
私は祈る。主よ、暗闇にいる人々を憐れんでください。
一人一人名を上げる。彼を憐れんでください。彼女を憐れんでください。
主の憐れみが私の憐れみになる。そして心から溢れ流れていく。
これがとりなしの力なのか・・憐みこそ宣教の動力であることを悟らせられる。
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自宅に帰り、感謝の祈りを下げているとき、ゼファニア3章の御言葉が思い出される。
シオンよ、恐れるな。力なく手をたれるな。
お前の主なる神はお前のただ中におられ、勇士であって勝利を与えられる。主はお前の故に喜び楽しみ、愛によってお前を新たにし、お前の故に喜びの歌をもって楽しまれる。
主よ、あなたは私のゆえに喜び楽しまれるのですか。
愛によって私を新たにされるのですか。
私の何を喜び楽しまれるのですか。私がこの世に生を受けたことですか。
キリストに属するものになったことですか。
私のこれからの成長ですか。と、主に問う。
あなたはその全てを喜んでくださるのですね。
そして楽しみ祝ってくださっているのですね。
そうつぶやいているとき、主の御愛が心に押し迫ってきた。
私がこの世に生を受けたことを主は喜んで下さっている。
私が主を信じたことを喜んでくださっている。
これから私をどのように成長させようかと、私の成長を楽しんでおられる。
ああ、私は主の喜びの子。主の楽しみの子。
生まれたことも、今、こうして存在していることも、これからどのように育っていくかも・・何もかも・・主の御愛が迫ってくる。この愛で自分を愛し、教会を愛せよと。
主よ、私もあなたを愛します。あなたの愛しておられる教会を愛します。
その弱さ、愚かさを指差すことを決していたしません。
私が愛されているように愛します。
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こうして、断食の祈りという特別な信仰者の態度を喜び、祝福し、恵みを与えてくださる主の心を知った。断食を律法主義と思ってはならない。それは恵みを受ける主の備えられた方法であると、執拗に私に言い聞かせえくれたその人に、感謝。