神戸の小高い丘にある小さなプロテスタント教会
クライストチャーチ神戸

証言・主婦OHTさん

■友の看護を全うさせた主イエスの愛と力



姉がキリスト教信仰を始めてから、いつも私を気にかけ、よく祈ってくれていました。私はキリストには全く無知で祈ってもらっても信じ切っていませんでした。
でも、娘が幼い頃熱を出すと、寝ている布団に入り娘の胸に手を置き「神様、今娘は高熱で苦しんでいます。どうか平熱に戻して下さい」となぜか自然に祈っていました。
姉の家で祈ってもらっている時に、私の口からよく、私ではない低い「ウー」とうめき声が出たり、顔が険しくなったり、戦争に出兵する兵士たちを見たり、特攻隊に行く人たちを見送る家族の悲しそうな顔を見たり・・・。変なことが良く起こりました。それが恐くてキリスト教もテレビでやっているお祓いのオカルトみたいで嫌だという気持ちにもなりました。
時には姉にも会うのが嫌だという時さえありました。教会に行くことを勧められても全くその気にはなりませんでした。
そんな私が教会に行くきっかけになったのは、3年半前に癌と告知され、2回の手術、3回の抗癌剤治療の闘病を過ごしてきた友達の出来る限り傍にいて上げたいと思ったからです。2010年10月に余命が宣告され・・、残された日々をホスピスにと、医者にすすめられましたが、本人は「病院には絶対に行かない。家でずっといる」と自宅で最期を迎えるという状況になりました。
私は死を直前にした友とうまく向き合っていけるのか?でも絶対いつも側にいてあげたい。でも怖くて不安があり、あまりの重圧に耐えれなくて、このままだと自分が壊れてしまいそうで、姉に助けを求めました。
私は何もしてあげられない。ただ今まで通り最後までいつも側にいて話を聞いてあげたり、祈ってあげることしか出来ない。それで姉やHさんの声掛けや励ましによって教会に行く決心をしました。
11月最初の木曜日、姉が仕事なのでHさんの好意で、教会の下で待ち合わせをしました。重い足取りで、帰りたいけどHさんが待っていてくれていたところにたどり着き、初めて教会への第一歩を踏み出しました。
辛そうな私の表情を見て「しんどくなったら隣の部屋で横になっていいからね」と言ってもらい、やはり途中で頭が痛くなり、礼拝の場所から出たいと隣の部屋に移ることが度々ありました。隣にいても「霊的解放の祈り」が聞こえてくると、私でない者が「やめてー」と心で叫んでいました。
木曜日が近づくと「嫌だな」という思い、でも友と傍にいる力をもらうため、絶対に行かないと・・・。そんな繰り返しでした。
私はほぼ毎日のように友達の家に行っていました。姉に言われたように行く前には「イエス様どうか私の内にいて、イエス様が私の手となり、口となって働いてください」と祈り、夜には「どうかイエス様、友だちから死の恐怖を取り除き、いつも平和で安心な気持ちでいることが出来るように。」
「一緒にいる私にも平安な気持ちでいることが出来るように」と毎晩祈っていました。
祈るしかなかった。
友達はもう体重も30㎏台になってしまい、手も足も枝のように細くなって動かすことも出来なくなり…辛い状況になるばかりです。そんなある日、私は友に「私の信じているイエス様を受け入れて。受け入れてくれるなら頷いて。」と耳元で言いました。友は頷いてくれました。
友は私に甘えて「腕や足が動かない。さすって・・」と言ってくれます。私は穏やかに、さすってあげ「どう気持ちいい?」と尋ねると「うん気持ちいい!」口元に笑みがこぼれます。
私一人だったらきっとこんなこと出来ていないでしょう。恐くて不安で毎日会いに行けなかったと思います。イエス様が私の内にいて、イエス様が私の手となり口となって働いて下さっていたから、私は穏やかな気持ちで友と接することが出来たのだと思います。
木曜の教会での礼拝では、ただただ祈るのみで、牧師が祈ろうと私に近づいて来られると、後ずさりし「いいです!」「いいです!」と言い続けていました。でも不思議と讃美歌だけは私の気持ちを落ち着けていました。
5月に入って19日の木曜礼拝の帰り道、急に「ハレルヤーわが神・・・」の賛美が口から自然に出てきました。帰って友達の家に行くと「今朝、呼吸が何秒か止まったから、いつ何が起きてもおかしくないから・・」と言われました。夜から「イエス様、どうか友に永遠の命を、どうか天国に、永遠の命を与えてくださいと」祈り続けました。金・土曜と声をかけると目を開け、口が笑っていました。日曜日は呼びかける度に、目をあけてくれました。友の家から帰って1時間後に、友は4年2ヶ月の闘病生活を終えて、この世から去って行きました。
私は友が天国に確かに入って行くのを見ました。そして、私は疲れているのに、急に「ハレルヤ!わが神~」の賛美を口ずさんでいるのです。こんな時なのに、顔が穏やかに口元に笑みさえ出て歌っているのです。こんな時に「なぜ賛美を!?」と一瞬ためらいましたが、本当に自分が穏やかでいれて、友の笑った顔が幻のように見えました。これが四年に渡る私の労苦に対する神様の恵みだったのでしょう。後からHさんに「牧師が友達が天国に行くのが分かるようにしてあげて下さいと祈っていたそうですよ」と聞き、嬉しくて感謝でした。私も友達も「永遠の命をもって」報われたのです。闘病生活は決して無駄ではなかったのです。

○○○

友の病気を通して神様は私と周りの人たちの関係をも守ってくださいました。
厳しい状況になってから、本人や家族からの希望で限られた人以外には黙っていないといけなかったので、近所の人たちに様子を聞かれても、ごまかしている自分に、その人は心配しているのに、嘘をついている自分への罪悪感に悩んだりしていました。
ある友達は、以前は亡くなった友と三人でよくお茶を飲んだりしていた仲なのに、その友との間に何かあるのか、友はその友達には絶対会いたくない、今の状況は知られたくないと言っていました。
だから私はその意を優先して、その友達に聞かれても「大丈夫みたい」とはぐらかしていました。申し訳なさでいっぱいでした。
亡くなる1週間前に、その友達に偶然お店で出会い、「今どうなん?このまま亡くなって会えないなんて嫌やで!」と言われ、相当厳しい状況だったので「ごめんね、私はあなたの心配している気持ちも十分わかっていたけど言えなかった。もし万が一のことがあって、あなたが沈黙し続ける私を許せず、私から離れても、それは覚悟してる。今はあの人の気持ちを優先してあげたいから・・」と、涙があふれ、友達にはいろいろ言われてしまいました。そして別れて泣きながら帰りました。
家に着くと同時に友達からメールが入りました。「さっきはごめん。きつく言い過ぎた。あなたが間に入って一番つらい思いしているのに、ごめんね」って。
また涙、涙です。
友が亡くなった翌日にも、「大丈夫?寝込んでいないか心配です。これからは自分の身体を大事にしてよ」って。メールがありました。神様あなたは私の交友関係を救い、もう一人の友達を失うことからも救って下さいました。
私は4年2ヶ月ずっと一緒に友と過ごせたこと、本当に有難く幸せ者です。辛くて心が折れそうな時も沢山あったけど、最後に天国に引き上げられながら、微笑んでいる友の顔が見れたこと、嬉しいです。神様からの贈り物です。感謝です。
亡くなった週の木曜はさすがに疲れて教会にはいけませんでした。そこで一瞬「私は友の為に祈りたいから行き始めたので、もう教会には行かないでおこうかな・・・」と思ってしまったのです。
でも次の週からはやっぱり教会に行っています。神様がずっと私の内にいてくださり、心が救われたことが忘れられなくて。神様も私に離れずに教会に行くのを導かれていたのでしょうね。
それでも、まだ礼拝では「霊的解放の祈り」がしんどくなり、御言葉が大事だから聖書を読むようにと言われても聖書が目に入るだけで聖書を「怒りをもってにらんでいたり」しかし、霊的解放の祈りを自分や姉に支えられてしつづける中で、徐々に聖書を手に持つことが出来て、ページを開くことが出来て、少しづつ読むことが出来るようになりました。
教会では逃げだすことなく、最後まで礼拝の場にいることが出来るようになり、牧師やOさんに手を置いて祈ってもらうことも出来るようになってきました。




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