神戸の小高い丘にある小さなプロテスタント教会
クライストチャーチ神戸

証言・大学生NSMR君

■立ち返る時、授かった十字架の赦しと愛



礼拝を軽んじ、再発した苦しみの中で立ち返る時、迫ってきたキリストの赦しと愛

 3年に渡る閉じこもりと長い信仰の闘いのすえ、今年ようやく大学に復帰出来ました。そして4週間がたとうとしています。多くの友にも恵まれました。僕は初めて青春を謳歌してきました。生きることを楽しんできました。昨年、外大の学生が怖くて、登校できなかったことが嘘のようです。
さて、しばらく心身の調子は良かったので、ここ数日間、礼拝を怠っていました。その間に小さな思い煩いや小さな怒りが積もっていました。また、長い休学の末に基礎体力を失って、疲れやすくなっていました。時には、余りに疲れて眠くて,休み時間に保健室のベッドで横になっていることもありました。
5月2日のことです。いつものように朝一で学校へ行って、予習などをしていました。1限目の授業も終わり,母の日のプレゼントを買いに三宮へ行きました。するとどうでしょう、なぜか、急に頭がもうろうとしてきました。そのとたん、わけもなく心が不安で一杯になりました。買い物は何とか済ませましたが、不安に苛まれ、周りもよく見えない。立っておれないほどでした。祈ろうと思っても祈れる場所がなく、近くのコーヒーショップに駆け込みました。
しかし祈れません。かかりつけのお医者さんに電話したところ、「薬をすぐに飲みなさい」と言われました。薬を携帯していなかったので、いそいで薬のおいてある自宅へ帰ることにしました。地下鉄に乗り、名谷に着いたときには、不安はだいぶ治まっていました。
残存する不安を追い払うために、自宅に帰る道すがら、教会で時折、歌っている「父の涙」と言う讃美歌をヘッドステレオで、繰り返し、繰り返し聴いて、口ずさんでいました。すると、なんとも言えず、魂が震えて来ました。そして目頭が熱くなりました。気がつけば、歩道に座り込んで、号泣している自分がありました。
2番の歌詞の、神の独り子と認めることが出来ずに、御自分を十字架につけた無知で罪深いユダヤの支配者や民衆に対して、イエス様が「父よ、彼らを赦してください!」と祈りました。その歌詞のところにさしかかると、涙があふれて、止まりませんでした。深いイエス様の赦しと愛が僕に迫ってくるのです。
僕の父は、僕と母と姉をさんざん苦しめてきました。イエス様はその父をも愛して、その咎のために十字架におつきになった。イエス様は僕や僕の母を赦すために十字架につかれただけでなく、僕が憎んでやまなかった父をも赦すために十字架につかれたのです。
イエス様のその赦し、その愛ことが、賛美の歌を歌う中で、僕に迫ってきました。また、父を赦さずに憎みつづけてきた自分自身の罪深さも示されました。そして悔い改めるように促されました。僕は父を赦さなければという思いに駈られ、「父を赦します、父を赦します!」と何度も繰り返して、イエス様に向かって言いました。すると、イエス様の深い慰めと愛に包まれ、路上で立っていることが出来ないほどに、心の底から泣きに泣きました。
 家に着いてからも、同じ賛美歌を何度も聞き、歌っていました。その中で魂の奥底から、自分を卑しめ、辱めた父を含め、あらゆる人に対しての憐れみの心が起こりました。卑しめられた僕が卑しめた人を憐れんでいるのです。到底信じられないことでした。僕は涙を流しながら、その人たちの救いのために、一心不乱に執り成し祈りました。そうせずにはおれないほどに、その人たちへの神の愛が僕の心に溢れてくるのです。
また聖書を開いて、読み始めてもあらゆるところで御言葉が僕の心を打ってきました。ザアカイというみんなから嫌われた罪深い人がいましたが、主を求める彼の心を見て、イエス様は言われました。
今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。    (ルカ19章)
 主よ、有り難うございます。今日、あなたの救いが僕にも訪れてくださったのです。
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。   (ルカ6章)

主よ、あなたは教えてくれました。愛すると言うことは赦すことです。
また、赦すと言うことは、自分の持っている怒りから自由になるだけでなく、人が僕に向かって投げつけた罪深い言葉からも自由になることです。そんな思いが与えられました。
 あなたの十字架の愛が迫ってくるなら、僕は本当にかつて憎んでいた人を愛し、赦し、その人のために泣きながら祈れるようになるのです。
主よ、僕は十字架の愛によって癒されました。
怒りから解放されました。恐れから更に解放されました。有り難うございます。
 実は、最近、ある程度元気になって、それほど神様を必要としなくなり、礼拝を怠け、信仰も下火になって、神様への関心が薄れていたのです。牧師先生から、くどいほど、礼拝を離れ、神様との交わりから離れてはいけない。必ず、恐れが戻ってくると言われていましたのに。
また、多くの片付けなければならない課題があって、とてもプレッシャーに感じていました。そして三宮で、不安発作に襲われたのですFJWRさん(女性信徒・役員)にこの話をしたとき、彼女が僕に言いました。
「賛美の歌を聴き、歌い始めたからでしょう。そのことを通して、神の名を呼んだから。
もし医者に電話をし、帰って薬を飲んで、それなりに治まっていたなら、十字架の赦しと愛に出会うことはなかったでしょう」
 牧師先生がローマ8章を引用して言われました。
「神様は私たちを栄光から栄光へと変えたいのです。しかし、私たちが神を捨てて自分勝手な生活に戻っても、私たちが立ち返るなら、全てを働かせて益としてくださるのです。
この神の愛をたたえましょう」
このような災いの時を選んで神様が大いなる御業を成してくれた事に、心から感謝します。また、信仰を立て直し、家族で、また個人で礼拝し、祈る下地を再び整えて下さった事に感謝します。




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