証言・高校生KOND君
■死と人に対する恐れからの解放
発病____
僕は今から六年前、私立高校に入学しましたが、調理師として働きたいと思い、中退して須磨の「U荘」に父の世話で働くようになりました。職場は厳しく、いつも「仕事が遅い」とか「返事が小さい」と言って、しかられたり、怒鳴られたりしていました。腹が立ち、この職場では勤められないと思い、給料をもらった日に、逃げて帰りました。しばらく家に閉じこもっていましたが、これではいけないと思い、定時制高校に入学する事にしました。学校が始まり、久々に多くの人のいる中に出て行った時、人を恐れるようになっていました。学校に行かなければならないと思うのですが、行けば、人が怖いのです。みんなが僕の事を責めているように感じます。
対人恐怖症です。それで医者にもかかるようになりました。人の前に出ると、どうしていいか分らないほどあがる、身の置き所がないほど不安で、呼吸が苦しくなりまました。医者にかかり、薬を飲み、カウンセリングを受けましたが、よくなりませんでした。思うように登校できず、三年続けて進級出来ず、1年生のままでした。
ある日、先生が家に来ました。「私はクリスチャンです。私の神は君の病気を治すことが出来ます。人に対する恐れから君を解放することが出来ます。
君が心を開いて、救いを求めるなら、神は今日、君を救うために来てくれます。心を開いて、神様をお迎えしませんか。私といっしょに祈りませんか」と僕とお母さんに言いました。
僕は神の存在を信じているわけでも、信じていないわけでもありませんでした。先生の話を半信半疑で聞いていましたが、わらをもつかむ思いもあって、先生に「お願いします」と言いました。
先生は両手を大きく上に挙げて祈っていました。僕も先生の言う言葉の後について祈りました。祈り終わると、「どんな気分ですか」と聞かれました。なんだか、真っ暗だった心が軽くなっていました。そして、いつも唇に緊張感や違和感があり、口が重たい感じがしていたのがなくなっていました。先生の大きな声には驚きましたが、こんな救いの世界が実在しているのか、と思いました。
信仰____
それから学校に行ってみようと思いました、でも2時間しかもたず、はや引きをしました。すると先生がやって来て、また祈ってくれました。また、学校に行こうと思いました。ある時は終わりまで勉強出来ましたが、ある時は回りの人が恐ろしくて、はや引きをしました。どれだけ頑張ろうとしても、人の視線が怖くて、脂汗が出るほどでした。すると先生がやって来て、祈ってくれました。祈ってもらうたびに、心も体も楽になりました。
それで自分自身でも祈るようになりました。「イエス様、人を恐れないようにして下さい」「呼吸を楽にして下さい」「僕の心を守って下さい」短い祈りですが、朝・昼・夜と毎日祈りました。祈り始めて三日ほどたって、外に出てみると、恐れがなくなり、緊張もなくなり、呼吸も楽になっていました。イエス様は、僕の祈りを聞いて下さる神だと分りました。いろんな経験をして、それが次第に「確信」になりました。ハレルヤ、イエス様、感謝します。賛美します。四年間も医者にかかって、治らなかった僕をイエス様は治して下さいました。
しかしまだ完全ではありませんでした。
死の恐れと解放____
人の怖さはなくなりましたが、毎日、何度も何度も手を洗っていました。手がふやけるほど洗いました。また、トイレに行って何度も嘔吐していました。お母さんがきしょく悪がっていましたが、やめられませんでした。水滴が落ちてきて、手についたような気がするのです。目の前にある何か黒いものを吸い込んだような気がするのです。そんな時、たまたまテレビを見ていて「死」という言葉を聞くと、「死」が水滴といっしょに手に張り付く。また、「死」という言葉を飲み込んだような気がする。手を洗わなければ、呑みこんだものを吐き出さなければ、自分が死ぬような気がして不安なのです。だから何度も手を洗ったり、水を飲んで吐いて、納得しようとする。
時間はかかりましたが、自分でも教会でもみんなが祈ってくれて、ある日突然、手も洗わなくなり、吐く事もなくなりました。はっきりとその日を覚えています。級友のFKTが、自動車で家までおくってくれた時でした。教会に行って、このことを言うと、先生が「君が最後まであきらめないで、願い続け、祈り続けたからやで。よかった。よかった」と言って喜んでくれました。イエス様、ありがとうございます。感謝します。
言い忘れましたが、手洗いと吐く事と同時に、火を見ると怖くなりました。「しあわせの村」を散歩している時など、火を燃やしているのを見かけると、恐怖感に教われて、息苦しくなっていました。先生に「何かきっかけがあったでしょう?」と聞かれて、考えてみると、護摩(ごま)を焚く(た)のを見てからだと思います。
僕の事を心配した母が、神奈川県の円光寺に連れて行ってくれたのです。そこに、「織田無道」と言う人がいて、僕を見て「この子には自殺の霊がついている。人でも動物でもない、わけのわからない霊がついている。はらわなないかん」と言って、僕のために護摩を焚いたのです。それから背中や肩を棒で思いきりたたいて、霊を追い出そうとしました。
帰りに100円で、ジュースを買ったら、500円おつりが出てきました。「何かいい事、ありそうやなあ」と思って帰りました。それから毎日、「唱えなさい」と言われていた呪文を唱えました。「カンゼオンボサツサマ…」
すると次第におかしくなって来ました。それまでは人が怖いだけだったのに、「火」と「死」が怖くなってきました。水滴が体に張りつくようになり、その上に頭で思ったことが張りつくような気がするのです。
教会で、その事を言って祈ってもらいました。「織田無道」からきた「死への恐れ」から解放されるように。それからブルーマンの「神を食った男」と言う怖い本を読んでから、気色悪くなり、すごい恐れが来るようになりました。この頃、神様の事が知りたくて、「神」と書いてある本なら、何でも買って読んでいたのです。しかしこの本は「サタン」の本だと思いました。その本から来る恐れについても、教会で祈ってもらいました。何度か祈ってもらうと、恐れが来なくなりました。
人に対する恐れ、死に対する恐れ、心の中は恐れでいっぱいでした。暗い毎日でした。イエス様は、この死の恐れから、時間をかけて僕を救い出してくれました。すると今度は清らかな平安や喜びで満たしてくれるようになりました。次にその事を書きます。イエス様、あなたは本当にすばらしい方です。
癒しと聖霊の満たし____
兄に「一度働いてみたら良い」と勧められて、今年の四月からどんぶり屋で働きました。仕事はしんどかったけれど、楽しかったです。二ヶ月間働きましたが、アトピーがひどくなったので、やめました。それからは「イエス様、アトピーを治して下さい」と自分でも祈り、教会でも祈ってもらいました。何日かすると、アトピーが次第に消えて行きました。イエス様、あなたはなんでも出来ます。あなたに感謝します。その頃から、イエス様に感謝しても感謝しても、しきれない気持ちになりました。夜遅く、感謝の祈りをしたくなって、「イエス様、感謝します」「イエス様、賛美します」と言って祈っていると、感謝が余計こみ上げてきます。あのことも祈ろう、これも祈ろう。お父さんの事もお母さんの事もお兄さんの事も祈りたくなります。
日曜日の礼拝で、みんなと一緒に賛美歌を歌っている時、「主のために生きるのも益、死ぬのも益です」と言うところに来ると、涙が溢れてきました。受けてきた恵みの大きさを思うと、「キリストのために死んでもいい」と思うほどの感謝がこみ上げて来るのです。僕はその時、死ぬ事がぜんぜん、怖くなくなっているのに気づきました。
それから自分で祈っている時、聖霊に満たされるようになりました。悩んでいる事があっても、心が感謝と喜びで満たされ、本当に平和になります。心が大変軽くなるのです。悩んでいた事をすっかり忘れてしまいます。いつもではありませんが、そんな時が多くなりました。
教会で僕がみんなのために祈ると、色々な腰の痛みや肩の痛みが無くなるようになりました。それまでみんなに祈ってもらうだけでしたが、少しずつみんなのために祈るようになりました。家族の病気の癒しのためにも祈るようになりました。
まず、兄の手が動かなくなった時、イエス様に「治して下さい」と祈り続けました。すると、まもなく治りました。次にお父さんの胃にポリープが四つも出来た時、祈りました。病院で検査してみると、みんな消えていて、手術をしなくてもすみました。お母さんは血圧が高くて困っている、「血圧を下げて下さい」と祈っています。だんだんましになってきたようです。でも家族は誰も信じていません。これは神様の力です。祈った僕には分ります。イエス様は僕の祈りを通して、兄や父や母の病気を治して下さったのです。
感謝でいっぱいです。先生の事は尊敬していますが、イエス様は尊敬以上の方です。もはや今までの僕が生きているのではありません。イエス様がいつも共に僕と一緒に生きて下さっているのです。いくら感謝しても、したりません。
朝、この文章を先生の家に持って行きました。先生がいっしょに朝のお祈りをしようと言ったので、二人で祈りました。先生が、「主よ、感謝します。あなたは私たちの祈りに答えてこの子の病気を治して下さいました。それだけでなく、聖霊に満たされるようにして下さいました。また、K君を用いて教会や家族の癒しまでして下さいました。
あなたのようなすばらしい神は他にいません。もっともっとK君を清めて、多くの人の救いのために清め、強め、高めて下さい。主よ、心からありがとうございます。K君もいくら感謝しても、感謝しきれないと言っています。私たちをもっともっと喜びで満たして下さい。そしてあなたがどれほどの愛と力の神であるかをもっともっと教えて下さい」と祈りました。僕も先生の後をついて祈りました。
二人で賛美歌を歌っていると、腹の底から喜びがこみ上げてきました。何もおかしくはないのに、心の底から喜びと笑いがこみ上げてきました。神様が先生と僕の感謝を喜んで下さっているようでした。
僕の希望は早く教会堂が出来る事です。十字架ときれいなステンド・グラスのある教会堂がいいと思います。そして僕と同じように、色んな恐れにつかれている人、毎日、真っ暗闇の中で生活している人にキリストの救い、平安、喜びを教えて上げたいと思います。
み言葉
(キリストが死んで甦られたのは)死をつかさどるもの、つまり悪魔をご自分の死によって滅ぼし死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放するためでした。[ヘブライ人への手紙2章]
死は勝利に呑みこまれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。[Ⅰコリント15章]