神戸の小高い丘にある小さなプロテスタント教会
クライストチャーチ神戸

証言・高校教員(51歳)HRDさん

■虫けらのようなヤコブこそ愛するイスラエル

人が神様に面と向かって反抗すれば、どうなるでしょうか。
そんなことをする人は、あまりいないと思いますが、私は一度、本気で反抗したことがあります。イザヤ41章を読んでいた時です。
 当時、私は残された自分の人生の全てをかけて、神に近づこうとしていました。本気でした。その時、出会った御言葉です。

私の僕イスラエルよ、私の選んだヤコプよ、私の愛する友アブラハムの末よ。・・私はあなたを選び、決して見捨てない。恐れることはない、私はあなたと共にいる神。たじろぐな、私はあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、私の救いの右の手であなたを支える。
見よ、あなたに対して怒りを燃やす者は、みな、恥を受け、辱められ、争う者は滅ぼされ、無に等しくなる。


すばらしい神の約束でした。私は心から頼もしく思って、感謝しました。
ハレルヤ、主よ、あなたを讃えます。神を賛美しながら読み進んでいました。
すると、御言葉は次のように言い始めたのです。

あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神は言われる。恐れるな、虫けらのようなヤコブよ。愛するイスラエルよ、私はあなたを助ける。

私の内に突然、自分でも予期しなかった怒りが湧き上がりました。
「虫けらのようなヤコプよ・・・」「虫けらのような・・・」
 誰のことか。私のことではないのか。・・
御言葉は確かに私に向かって語っていたのです。私を名指ししているように語っていたのです。これは赦せない。いくら神様でも、言っていいことと悪いことがある。誰に言っているのか。私の苦労を知っているのか。私の人生の厳しさを知っているのか。戦いの厳しさを知っているのか。「虫けら」とは何事か。私を虫けら呼ばわりするのか。
私は激しく神に向かって怒りました。そして聖書を床にたたきつけました。

○○○

その時、私は神の命をとても必要としていました。
私の30年に及ぶ教員生活は生半可なものでありませんでした。全てを子供のために捧げてきたつもりでした。私利私欲のために子供を裏切ったこと、出世を望んだことは一度もありません。子供のためであれば、何でもしました。私はいつも戦場にいる兵士のようでした。私は戦線から逃亡したことはありませんでした。
勉強の出来る、行儀のいい子だけが大切にされる学校体制、荒れている生徒、貧しい家庭の生徒、勉強の遅れている生徒の心の願いは省みられることが少ない学校体制。それを容認する教育行政。無論、子供思いの教員もいます。しかし体制は、そうではありません。
古い学校管理体制とぶつかり続けました。教育行政ともぶつかりました。
自分の保身しか考えない世俗的な校長を、まさに「虫けら」のように批判しきってきました。生徒に対し冷ややかな教師、すぐ処分したがる教師に対しても妥協しませんでした。多く怒りを受け、孤立しました。
多くの敗北があり、多くの勝利がありました。そんな30年でした。
若くて力のなかった私も、老練な戦いの戦士となっていました。
弱い教師、知恵のない教師を助けるようにもなっていました。教師としても一目置かれるようになっていました。しかし、私の命は深いところで、命が磨り減り、枯れ果てようとしていました。周りの人は誰も知りませんでしたが、これ以降の人生を、生きるために新しい力、新しい命を必要としていました。それは切実でした。
聖書に書かれているイエス・キリストが真実の救い主であり、命の源である方なら、私を救われるはずでした。私は新しい命、力、光を本気で求め、本気の求道者になっていたのです。そんな私に、神様に反抗し、神様に向かって「許せん」と向き合う、途方もないプライドが残っているとは、思いもしないことでした。

○○○

誰が虫けらなのか。私に向かってそういうのか。誰であろうと、許せん。
私は腹の底から怒っていました。そして聖書を床にたたきつけたのでした。
その瞬間、胸が死ぬほど締めつけられました。死にそうでした。何百キロもの大きな岩が上からのしかかって来たかのようでした。とても苦しくなりました。神様の怒りでした。神様の懲らしめでした。私にはそれが分かっていたのです。
私は歯を食いしばって、懲らしめの重圧に耐えようとしました。重圧が増し加わりました。あばら骨がボキボキ、と音を立て始めました。殺されるかもしれないと思いました。しかしなお、自分のプライドを守るために、歯を食いしばって耐えていました。明らかに神様が私に対して怒っておられました。
 本当に殺されそうでした。
その時、私の内側に、ささやきが聞こえました。その声は細いささやきでしたが、はっきりと聞こえました。
「認めなさい。虫けらであることを認めなさい。それは本当です。あなたは虫けらなのです。鼻で息をする者にすぎません。あなたは、はかない者です。認めなさい。神の前にへり下りなさい。そのことで、あなたが必要としている新しい命を受けます。恵が始まります。認めなさい。神の言葉を受け入れなさい」
 神様の怒りと懲らしめの御手が、巨大な岩のようにのしかかり続けました。それは次第に強くなって、今にも押し潰されそうでした。気づくと、私を取り囲んでいる世界は真っ暗でした。明るい所が少しもありませんでした。深い暗黒でした。私は地獄のような所にいました。
私は、突然、恐ろしくなりました。どんなことをしてでも、逃げなければならないと思いました。しかしそれだけでなく、静かなささやきを聞いた時、本当のことを悟ったのです。それは今、分かります。聖霊様の助けでした。突然、内側に悟りが与えられ、プライド、怒り、反抗から来る暗闇の中に一筋の光が来ました。その光に照らされました。そして光の方に引き寄せられました。すると、不思議なことに、わけもなく、素直になったのです。私は言っていました。
「主よ、認めます。私は『虫けらのようなヤコブ』です。それを認めます。私は高ぶっていました。自分の誤りを認め、捨てます。情けないことですが、私は虫けらのような存在です。しかし、あなたは『虫けらのようなヤコブ』を『愛するイスラエル』とも呼んで下さっています」

○○○

自分の苦労を誇ってきた私が神様の前で「虫けら」にすぎないことを認めたとき、私は地獄の責め苦から一挙に解放されました。
そして、苦労の多かった自分の人生のために、初めて涙を流して泣いていました。これも不思議なことでした。私は今まで、自分が可哀想だと思って泣いたことはありません。泣くような余裕もありませんでした。戦いにつぐ戦いがあったのです。泣いている暇はなかったのです。 しかし私は初めて、自分のために泣いていました。誰かが私の苦しかった人生、長い孤独な茨の道をいたわり、慰めてくれているようでした。私には分かりました。それは神様のいたわりでした。神様の涙でした。それは神様の優しさでした。
私は切って捨てられていく生徒たちのことを考えると、弱音を吐くことが出来ませんでしたが、本当は疲れきっていたのです。しんどかったのです。
それを背負って、自分の正しいと思うことのために戦ってきた。もし戦わなければ、自分を赦せない、教師として生きていけないという所で戦っていたのです。
意識していなかった、その苦しみ、その孤独、全ての辛かったことを神様は、言いようもない慈しみで慰めておられたのです。

○○○

私は泣き続けました。
涙がつきると、喜びが溢れるほどに押し寄せて釆きました。それは神様の喜びです。私には分かりました。そして神の慰めと光を知った私の喜びでした。救いの神は私と共におられました。そして私は神の内にいました。私は、はっきりとそれを自覚していました。私は喜びに満たされました。喜びが私の全身にあふれ出ました。私は、
「ハレルヤ、主よ、あなたをたたえます」
「ハレルヤ、主よ、あなたを愛します」
「ハレルヤ、主よ、あなたに感謝します」と叫び続けていました。

私の神様がまことの神様であることをたたえます。
その真実の厳しさと慈しみをたたえます。神の裁きも慰めも、恵みです。
神は真実な方です。その御名を心からたたえます。神は言われます。

――――イザヤ57章
私は高く聖なる所に住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、
へりくだる人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる。

――――イザヤ65章
私が顧みるのは苦しむ人、霊の砕かれた人、私の言葉におののく人。


神様は何と私をよく御存知だったことでしょう。
本気で神様の救い、新しい命を求めていた私に、神様は最も必要なことをして下さったのです。プライド――公然と神の言葉に反抗する高慢を砕いて下さったのです。神の救い、神の命、新しい人生を歩み出すために、どうしても、容認できなかった邪魔なものを取り除いて下さったのです。
そして神様の前にへりくだる心、慰め、喜び、つまり新しい命の輝きを与えて下さったのです。これこそ、私が求めていたものでした。
こうして、私の新しい人生のはじまりが始まりました。古い命の中に新しい光が差し込んだのです。これは比喩ではなく、古い自分が虫けらのような存在であり、深い闇の中にいたことを認めたときに、存在の闇に新しい光が差し込んだのです。 このことを通して、全ての新しいことが始まりはじめたのでした。
神様をたたえます。こうして、神様の懲らしめと助けによって、望んでいたとおり、新しい命の道を歩み始めることが出来るようになったのです。今まで経験しなかったこと、思い描くことが出来なかったことを、新たに知り始めたのです。 神様のこらしめを感謝します!慰めを感謝します!喜びを感謝します!




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