神戸の小高い丘にある小さなプロテスタント教会
クライストチャーチ神戸

第107回 復活と携挙

 前回、イエスをキリストと信じた人は陰府に下ることなく、天の国に導かれることを学びました。天の国に入って、それで終わりではありません。今日、その後の神のご計画について、学びます。
 神は時が満ちると、キリストは栄光に包まれて、再臨されます。第一段階は空中に、です。この時、天の国にいたキリスト者は、栄光に輝く復活の体を着せられます。地上に生きているキリスト者は天に引き上げられていきます。その途中で、朽ちる肉の体を脱ぎ捨て、朽ちることのない霊の体を着せられます。
創世記の時代、アダムとイブの罪によって、サタンの支配が入り、大地は荒廃し始めました。キリストはサタンを縛り、世界の荒廃を癒し、再びエデンの園のように回復なさいます。そして復活の体を着せられた人、携挙された人と共に、全世界を千年の間、治められます。地上に完全な神の国を実現されるのです。
その時は「千年王国」と呼ばれている、神の国が世界を支配する前のことです。

(1) 苦難の時代について



この時代は前期と後期に大きく二つに分けることが出来ます。それぞれが三年半、合計七年の苦難の時代です。苦難は人間の罪が極みにまで達することを通して起こるのです。また、従順には祝福が、不従順には災いが、という「神の原則」によって、起こっているのです。やがてやってくる苦難の時代について、主イエス御自身が弟子たちに語りました。
 マタイ24―4~14はその前半です。15~25はその後半です。開きます。
■ 前半―――
 1.大勢の偽キリストが現れる。
 2.戦争が絶えない。
 3.世界中に飢饉や地震が起こる。
 4.教会に対する迫害が広がる。
 5.偽預言者が多くでる。
 6.不法がはびこり、愛が冷える。
 7.福音が全世界に宣べ伝えられる。
■ 後半―――
 1.ダニエルが預言した「荒らす、憎むべき者」と言われる残忍な世界の支配者が、聖なる神殿に立ち、神殿を汚す。イスラエルの民を滅ぼすために戦いを仕掛けてくる。(と言うことはエルサレムの神殿が再建されている)それはイスラエルにとって、かってないような苦難の時。
 2.太陽は暗くなり、月は光を放たない。
 3.星が天から落ち、天の万象が揺り動かされる。
 4.地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。
 5.キリストは大きなラッパの音を合図に天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。(これは復活と携挙のこと)

○○○

 黙示録を見ます。黙示録6章から18章までは、キリスト再臨直前の苦難の時代です。
 その後、「千年王国」が来ます。キリストが聖徒と共に、御自身の栄光による支配を行い、実際的に目に見える形で神の国が来るのです。
「七つの封印」は苦難の目次です。最後の七つ目の封印が解かれると、目次の実際が始まるのです。それは「七つのラッパ」が鳴るたびに、啓示されます。最後の七つ目のラッパには、次の「七つの鉢」の苦難が啓示されます。そして、そしてサタンと偽預言者と海からあがってきた獣(荒らす、憎むべき者・世界の支配者)によって引き起こされる、イスラエルに向けた世界戦争で、万軍の主は勝利をイスラエルに与え、悪魔を暗い淵の中に閉じこめて、千年の間縛り、千年の間、全世界の再建、回復、繁栄を創造されるのです。
■ 封印―――
 1.十カ国連合の悪魔的な世界政府が出来る。
 2.戦争が各地に起こる。
 3.世界の各地で飢饉が起こる。
 4.世界の人口の四分の一が死ぬ。
 5.教会に対する大迫害が起こる。
 6.大地震が次々起こる。太陽も月も暗くなる。
■ ラッパ
 1.世界の三分の一が火で焼かれる。
 2.海の三分の一が血のように赤くなる。
 3.川や湖の汚染によって、大勢の人が死ぬ。
 4.太陽の光が三分の二に減衰する。
 5.イナゴのような昆虫が世界中を襲う。
 6.アジアから二億の軍隊が中東の進軍する。その時、生き残っている世界の人々の三分の二が殺傷される。
■ 鉢
 1.世界中の人に悪性の腫れ物が出来る。
 2.海中の生き物が全てしに絶える。
 3.川と水の源が血のように赤くなる。
 4.地軸の傾きが変化し、大気の変化によって、地上は灼熱の地になり、多くの人が死ぬ。
 5.「荒らす、憎むべき者」と呼ばれる世界の凶暴な支配者によって多くの人々が殺される。
 6.世界の国々がイスラエルのハルマゲドン(メギド平野)に軍隊を派遣する。
 7.人類最後の戦争が始まる。地球は文字通り震え、世界の都市が破壊される。島々は消えてなくなり、山々が平らにされ、地形の大変動が起こる。
 この後、「千年王国」と呼ばれる神の国が地上に来ます。それはエデンの園の復活です。エデンの園は「千年王国」の予表です。そして、次回述べますが、「千年王国」は永遠の神の国、「新しい天と地」の予表なのです。実体は永遠の神の国です。

(2) 復活と携挙の時期と目的



キリスト者は「千年王国」を聖徒たちと共に治めるために、キリスト者を復活し、携挙されるのです。それは創世記1章の神の御計画が成就するためです。
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう。
そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うもの全てを支配させよう」
神は御自分にかたどって人を創造された。男と女に創造された。
神は言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。産みに魚、空の鳥、地の上を這うものを全て支配せよ」そのようになった。神はお造りになった全てのものを御覧になった。見よ、それは極めてよかった。

 神は「千年王国」をご覧になって言われるでしょう。「見よ、それは極めてよかった」と。
 神はもともとこのように、人を含めた全てのものを創造されたのでです。罪を通してサタンの支配が入り、多くのものが汚され、聖なる原形を破壊されたのです。人も、生き物も、環境も、です。神はその全てを回復し、繁栄させられます。「千年王国」はどのような平和と繁栄の世界なのかは、次回見ていきます。
復活と携挙の時期については、二つの聖書解釈があります。
「千年王国」の前に七年間の苦難の時があるのですが、ある人は苦難の直前に復活があり、携挙があると考えます。また、ある人は苦難の時代の終わり、「千年王国」が始まる直前に、復活があり、携挙があると考えます。
 人は誰でも、このような苦難の始まる前に、霊の身体を着せられ、天に引き上げられ、苦難の一切から救われることを願います。二つの主張はそれぞれの根拠を持っていますが、現段階では、私は主イエスの、次の言葉の故に、復活と携挙は艱難の終わる前であると言った方がいいと思います。
あなた方は、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。 マタイ24-33
キリストの再臨は「これらの全てのことを見た」後のことであると、主は言われました。
「これらの全てのこと」とは、文脈上、苦難の日々であることを否定しようがありません。
 黙示録の次の言葉がそのことを確証します。
  あなたは忍耐についての私の言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すために全世界に来ようとしている試練の時に、私もあなたを守ろう。私は、すぐに来る。
あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。
勝利を得る者を、私の神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。
私はその者の上に、私の神の名と、私の神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、私の新しい名を書き記そう。  黙示録3-10

 苦難の時代が始まります。しかしキリストはすぐに来て、教会を守ってくださいます。その時まで、持っているものを固く守りなさい、と主が言われます。復活と携挙が艱難時代の始まるときに起こるのなら、私たちはキリストの再臨まで自らを固く守る必要なありません。また、「勝利を得る者」というのは苦難の時代の信仰と忍耐が前提になっている言葉です。ですから、復活と携挙はやはり、艱難時代の終わりなのです。しかし、しキリストは私たちを苦難の日々の中にあって守られます。
 神は、私たちを怒りに定められたのではなく、私たちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。                     Ⅰテサロニケ5-9
これは携挙の説明に続く、神の言葉です。それは、いつかは分からない。だから目を覚ましているように警告した上で、七年間続く苦難の時代の中で、神は教会を守られるのです。なぜなら、教会は救いに定められているのであって、怒りに定められているのではないからです。
ソドムとゴモラが火と硫黄によって裁かれた時、そのただ中で、ロトと家族が守られたように、教会は守られるでしょう。全世界が洪水によって裁かれた時、そのただ中で、ノアとその家族が箱船によって守られたように守られるでしょう。エジプトの奴隷の地で、主がエジプトの初子をことごとく打たれたとき、その恐るべき神の裁きの中で、イスラエルの民が、鴨居に塗られた子羊の血潮によって守られたように守られるのです。

(3) 復活と携挙を通して着せられる栄光の体について



「永遠の命について」主イエスは言われました。
私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また裁かれることなく、死から命へと移っている。      ヨハネ5―24
 完全な形での永遠の命は、世の終わりが来て、新しい天と新しい地が創造され、私たちが永遠の神の国へと導かれたときに与えられるのですが、天の父を信じる者は肉の衣を着たまま、「死から命へと移っている」つまり、永遠の命を既に得ています。キリスト者はみな、永遠の命によって新しく生まれ変わり、今日を生かされています。それは私たちの経験です。この経験があるので、将来の永遠の命についても確信できるのです。
私は復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか。   ヨハネ11―25
 永遠の命こそ、信仰による神の約束です。その命の姿は復活と携挙によって具体的になるのです。私たちは朽ちていく肉の体ではなく、驚くべき、栄光の体を与えられます。
私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、私たちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。    ピリピ3-20
 キリストの再臨の時、携挙がなされますが、その時、私たちの「卑しい体」が「ご自分の栄光あるキリストの体と同じ形」に変えて下さるのです。復活した人の体も当然そうなります。私たちの体は主の栄光を照らし出して太陽のように輝きます。
 キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なる者とし、染みやしわやその類のものは何に一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会をご自分の前に立たせるためでした。           エフェソ5―26
 それはまた、しみもなく、しわもなく、傷もなく、そのたぐいのものは何一つない、清い、聖なる、栄光の輝く体です。私たちはそのような体に帰られて、イエス・キリストの前に立つでしょう。 どうか、平和の神御自身が、あなた方を全く聖なる者として下さいますように。
また、あなた方の霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、私たちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうち所のないものとして下さいますように。 あなた方をお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにして下さいます。   Ⅰテサロニケ5-23

 それはまた、非の打ち所のないもの、何一つ欠けているところのないものにされるのです。私たちは体においても、魂においても、霊においても完全です。非の打ち所がなく、欠けているところ、病んでいるところ、ゆがんでいるところ、しわになっているところ、傷ついていり所がありません。創世記1章で言われたとおり、主なる神が見ても「それは極めて良かった」と言わざるを得ないものになるのです。
こうして教会は千年王国をキリスト共に治めるために。

(4) どのように復活し携挙されるのか。



 主イエス御自身に聞きます。
その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。
そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなた方には分からないからである。                マタイ24-36

 全てのキリスト者が携挙されるのではないのです。約半数の人は天に引き上げられますが、残りの半数の人は地上に残されます。誰が携挙されるのですか。その日のために供えている人です。待ち望んで目を覚ましている人です。つまり、携挙は信仰によるのです。全ての恵みと同じように自動的な恵みではありません。
 パウロは聖霊の啓示を受けて語りました。
死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。
愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。
神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。・・・
死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。 「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。
最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。
土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。
私たちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。兄弟たち、私はこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。・・
私たちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちに、です。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、私たちは変えられます。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。                         Ⅰコリント15-36

 復活も携挙も一瞬の出来事です。それは最後のラッパがなったときです。黙示録によれば、「第七のラッパ」です。それから、「七つの鉢」の災いが起こります。「第七のラッパ」と「七つの鉢」は同じものです。つまり、「第七のラッパ」の内容が「七つの鉢」の災いなのです。そして、千年王国が来ます。
兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残る私たちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、私たち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、私たちはいつまでも主と共にいることになります。          Ⅰテサロニケ4-16

 最初に復活があり、次に携挙があるのです。復活した者も携挙された者も、天から降ってこられた空中のキリストの前に集められるのです。

○○○

イエス・キリストによる最終的な救いの福音を頭だけでなく、全人格で悟ることが出来るように、エフェソ1章に従って祈りましょう。
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が私たちに知恵と啓示の霊を与え、神を深く知ることが出来るようにし、心の目を開いて下さるように。
そして神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか、悟らせて下さいますように。
また私たち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか悟らせて下さるように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。







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